【報恩講にて正信偈を唱和する意味】
今生きておる私たちは脈々とたくさんの
“いのち”の上に生きている。
そして、この私も“いのち”を繋いで、
いろんなことを伝えながら、
永遠と脈々と未来が続いていく。
はるか昔から現在へ、そしてまた、
はるか遠い未来まで続いていく
ある意味
「いのち」「想い」「願い」の繋がりが
現実にあるということに対して
そこに手を合わせていくことではないか。
報恩講
・報~感謝の事
・恩~つながりの事
・講~気づく事、語らう事
私たちは、いろんな人と”つながり”
そして、”ありがとう”と言う
また、そのことに”気が付いて”
生きていかなければならないないか。
"ありがとう"と手を合わせ、
”なんまんだぶ”と頭がさがるとこに
私たちは生きている。
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